2011年12月01日
勝栗
つづき!
この勝栗は、天正3年のこと、天竜光明山において、徳川勢と武田勢の合戦の折、大勝した徳川勢にお茶菓子にと献上した「栗菓子」です。家康は、この栗菓子に「功名勝栗」として、明治維新まで献上されていたという。
Posted by 昔のトマト at 23:02│Comments(1)
│天竜 二俣
この記事へのコメント
ちなみにこの時代に庶民が砂糖を手に入れることはできません、かち栗とは本来茹でた栗を乾燥させて保存食にしたものとか聞いていますよいわゆる戦時の携帯保存食、農民にとっても同じですまたかち栗イコール勝ち栗のゴロ合わせでおめでたがったのかもしれませんね?お菓子でもその由来をひも解くと面白いものですね!
Posted by きよみのまーちゃ(おやじ)
at 2012年01月31日 12:26
